市営の交流サロンについて

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市営の交流サロンというものがある。

地元のロータリーの駅前に誰でも入れる市営のビルがあってそこの一室にそれはあった。

テーブルが5つくらいあって誰でも読んでいいちょっとした本棚もある。ビルの最上階に位置するそこには大きな窓があって遠くの山々まで見渡せた。季節にそぐわない突き抜けるような青い空と、強い日差しを防ぐウインドウの仕切りがあった。

喫茶店が併設されていてそこでコーヒーをオーダーしてもいいし、市営施設なのでペットボトルのお茶などを持ち込んで無料で居座っても構わない。

そこにいる人は「自由に話しかけてOK」というのがその場所のルールだ。


何度か週末に行ってみたが基本はだいたい静かで閑散としている。
日本人はシャイなのか交流している人はそんなに多くないが、それでもたまに大学生、おじさんおばさん、おじいちゃん、外国人などがお互い初対面で話をしているのを見かけた。



最近俺がちょっと面白いかもと思っている場所の1つだ。

職業柄、常に何か面白いことはないかなと思ってアンテナを広げて色々と徘徊するんだけど、この場所は自分とは全く違う世界で生きる人たちが集う。稀有な場所だ。


これほどニュートラルに様々な属性の人が集まる場所は他にないかもしれない。
BARとかでお隣のマダムとトークするのは可能だけどある程度の属性偏りはある。

人はみな寂しいのかもしれない。
この場所にくると数十年後の未来は知らない人同士でネット越しに缶ビールを飲んだりするのが誰しも当たり前の時代になっていたりして、なんて思った。


まだデビューしたてということで様子を見て俺は自らは話しかけず棚に置いてあった本を読んでたら、
盗み聞きするつもりはなかったのだが静かなエリアなので周囲の人たちの話内容は全て聞こえてきてしまう。

その際に記憶に残ったトークを紹介しようと思う。



80代の絵画サークルのご老人たちだった。





「戦争でこの辺りが焼かれた時にいた?

「いたいた、ビラが配られてデマが広がった

「焼け野原になってみんな山に行ったね

「それにしても最近は若い絵描きがいなくなったね

「もう絵を描くのが億劫だ。何も残したくない。残された方への負担にもなるし。何かしたいんだけど何も残さないで済むこととかはないかな?

「歌がいいよ。あとは俳句もある

「おいおい、絵をやらない人生に価値はあるのか?

「意欲がないとダメだ。人生があってその結果としてその絵が生まれた。なんなら誰かにやってもいいし燃やしてもいい。だけど意欲は絶やさない

「自分1人だけでやっててもつまらない

「それはわかる。でも意欲を奮い立たせるのは自分。仲間がやってくれるわけでもないし

「一枚描いたら五千円とか一万円かかるし。だったら貯金したほうがいいのかなと。病気にでもなったら金かかるし、いつなるかも分からない。額縁とか特に高いから

「できねぇ。今日も帰ったらすぐ寝ちまうし(時刻は15時)

「50、60の時には思いもしなかった。描きまくっててさ。自分の名前が世に出るんだと思ってたし。でも現実は描いた絵の貰い手もいないわけで

「貯金をはたいてさ。昔の絵を全部業者に処分してもらったらどうだい。スッキリするだろう。そうしたらまた意欲も湧くだろう

「ふんぎりつかねえな

「やらないと。100万、200万とどんどん高くなっていくわけだから

「家に帰っても誰もいなくて困っててね

「本も山ほどある。画集とか美術全集とか

「古本屋に持って行きなよ。処分してくれって。金を払ってでもさ

「時代は変わったね。昔なら本を売るなんて罰当たりなことを

「絵だけじゃない。捨てるのが難しいのは

「家賃も払わないと。追い出されたら大変だしなぁ

「時代は変わった。パソコンから携帯、スマホになって。平成も終わる



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